映画『ジョーカー』あらすじ・解説・レビュー

こんな方へ
・社会に息苦しさを感じている人
・自分を見失いそうな時
・怒りや憤りを感じる時
〔 こんな方は控えてください… 〕
・心に余裕がない人
・過激な暴力描写が苦手な人
・ヒーローが悪を倒すハッピーエンドが見たい人
・15歳以下の方(R-15指定)
本サイトでは気分や目的別にカテゴリー分けをして作品をご紹介してします。他の作品も是非ご覧下さい

作品情本・あらすじ
- 作品名(原題):ジョーカー(JOKER)
- 制作年度:2019年
- 上映時間:122分
- 監督(制作国):トッド・フィリップス(アメリカ)
- 主な受賞歴:アカデミー賞(主演男優賞・作曲賞)
心優しき男が悪に堕ちるまでの苦悩と狂気の物語
財政難が一段と厳しかった1981年。
舞台は、極度の格差社会により荒れている町、ゴッサムシティ。
主人公のアーサー・フレック(以下、アーサー)もまた、格差社会による迫害を受けていた。
彼は精神病棟に監禁されていた過去を持っており、脳と神経の損傷により突然笑い出してしまう持病を患っている。今は精神安定剤を常用し普通に生活しながらも、大道芸人としてギリギリの生計を立てていた。
アーサーの生活は散々だった。大道芸人の仕事中には悪ガキたちのリンチを受けるわ、厄介な持病により周囲からは冷たい目で見られ、だれも彼に救いの手を差し伸べようとはしなかった。家は、ボロボロのアパートで母親のペニー・フレック(以下、ペニー)と2人暮らし。ペニーもまた、仕事を失い、かつてお手伝いとして勤めていた大富豪のトーマス・ウェインへの救済を乞う手紙を毎日のように送っていた。
社会の「はみ出し者」として貧しい生活を送っていたアーサーだったが、彼には夢があった。
人々を笑わせるコメディアンになり、世間からの脚光を浴びることだ。また、大物司会者マレー・フランクリン(以下、マレー)が司会を務め、コメディアンにとっての夢の舞台でもある「マレー・フランクリン・ショー」に出演することも彼の目標だった。夢を実現すべく、彼は思いついたネタや、プロのコメディアンから学んだ笑いのポイントをいつも地道にメモしていた。
しかし、彼の努力は報われず、社会は厳しい試練を与えた。
ある日、アーサーは小児病棟で大道芸を披露中、同僚のランドルから護身用としてもらい携帯していた拳銃を落としてしまう。あろうことにも、子供たちの前で拳銃の所持がバレてしまった彼は雇い主から激高され、唯一の生きがいとしていた大道芸の仕事をクビになる。
更に、悲劇は続く。
仕事を解雇され、ピエロの格好のまま帰路についたアーサーは、乗車した電車でタチの悪そうな酔っ払っいの証券マン3人に絡まれてしまう。悪気はなかったものの、突発的に笑い出してしまったアーサーは彼らの怒りに火をつけて、またもや車中でリンチに合う。
すると、アーサーは防衛本能から持っていた銃で反射的に一人の証券マンの頭を打ち抜いてしまう。そこからは、背筋が凍るような時間だった。驚く証券マンのもう一人を有無を言わさず撃ち殺し、電車を降りて必死に逃げる最後の一人も追いかけ無残に殺すのだった。
すぐさまその場を疾走し廃れたトイレに駆け込むアーサーだったが、彼が感じたのは恐怖や不安、罪悪感ではなかった。不思議と、感じたことのない高揚感に満たされたアーサーは、一人不気味に踊りだすのだった。
そして、事件は思わぬ方向に社会を動かす。「謎のピエロ(アーサー)」が証券マンを殺したというこの報道に感化され、富裕層と貧困層の衝突は過激化。「謎のピエロ(アーサー)」はたちまち貧困層のヒーローとなり、至る所で社会に迫害された者たちがピエロの仮面を被り暴徒化する等、町は異様な雰囲気に包まれ始めるのだった…
本作『ジョーカー』は、人気のアメコミ映画『バットマン』に登場する悪のカリスマ“ジョーカー”が誕生するまでの裏話。心優しいアーサーが、無慈悲な社会に「絶望」や「憎悪」を覚え、「狂気」に支配されジョーカーとなるまでの姿をオリジナルストーリーとして描いている。
本作は「アメコミ」の枠を飛び越え歴史的な興行収入や観客動員を記録し、映画界でもアカデミー賞(主演男優賞・作曲賞)を初め、ゴールデングローブ賞(主演男優賞・作曲賞)や金獅子賞などの栄誉ある賞を受賞した。そして、現実社会にも影響を及ぼし兼ねない刺激的な内容が物議を醸す等、様々な意味で注目を集めている。
一見、悪のカリスマ「ジョーカー」を題材にした単なるアメコミの断片作のようにも思えるが、社会の格差や思いやりの欠如、そこから生じる狂気の連鎖など、実社会にも通じる問題が存分に盛り込まれており、私たち一人一人の当事者意識を高める意味でも意義のある作品です。是非、ご覧ください。
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解説・レビュー ※ネタバレ含む
「ジョーカー」が鳴らす社会への警鐘
本作は、人気のアメコミ『バッドマン』の敵役「ジョーカー』が誕生するまでを描いた物語。

そもそも「ジョーカー』とは?
その不気味な風貌と、常軌を逸した行動が与える印象は強く、アメコミの悪役の中でも言わずも知れた存在である。本作は、そんなジョーカーが誕生するまでの物語をオリジナルで描いたものだが、考察に入る前に改めてジョーカーの特徴を整理する。
- 常にピエロのメイクで、本当の顔を隠している。
- 人を殺す時も、自分の死に際も、いかなる時も甲高い声で笑っている。
- 戦闘能力は普通の人間並みだが、卑劣で策士。無残なことも平然と行う。
大抵、悪役は身体能力や特殊な武器など、物理的な「力」の面で得意的な力をもつことがほとんだ。
しかし、ジョーカーの戦闘力は至って普通の犯罪者レベルで、そういった意味では最も普通の悪役かもしれない。
ジョーカーの最大の脅威はその「内面」にある。
・残虐非道な行為も平気でできる異常性
・どれだけ痛めつけられても笑いながら立ち上がる狂気や執念
・そして、悪者を惹きつけ手駒として支配するカリスマ性
そういったところから、ジョーカーの存在はある意味現実味を帯びており、恐ろしい。
まるで、人の内面に潜む「狂気」の象徴のような存在だ。
本作では、そんなイカれた悪役ジョーカーが、心優しい一人の男から誕生した裏話を描いている。
実社会にも潜んでいる闇を助長しかねない刺激的な内容から、賛否が大きく分かれるこの作品。
一方で、本作が賞レースを総なめにし、2019年の話題の中心となったことも事実である。アメコミから派生したたった一本の作品でここまで話題となるのは、良くも悪くも、実社会にも通じる人間の内情や社会の闇を的確に捉えているからであろう。
ここでは、私たちが生きる実社会にも通ずるテーマをピックアップし、下記の視点から読み解いてみる。
- 誰しもの「心」に潜むジョーカー
- 「思いやり」の欠如
- 問われる「当事者」意識
何かと議論が沸き立つ『ジョーカー」だが、そこに良し悪しの「答え」はない。
大切なのは、今を生きる私たちが、何を感じ、何を学ぶか。それによって映画の価値はいかようにも変わる。
実に哀しく、狂気的な作品ではあるが、これが私たちの人生の糧となるよう、一つ一つ考察する。
誰しもの「心」に潜むジョーカー
人は、コインのように裏と表の顔を持つ。

そして、裏の顔には、自分ですら気づかぬ一面が潜んでいるのかもしれない。
私たちは成長の過程における教養や経験により、真っ白な部屋に壁紙を貼るかのように価値観や人格が形成される。
その価値観のベースは社会が形成しており、社会にとって都合の良い「普通」が私たちには刷り込まれている。そして、その「普通」からはみ出したものは、「異端」な存在として社会から迫害される。
ここで最も恐ろしいのが、私たちが「普通」でいることや「良い子」でいることを演じているうちに、いつの間にか自分自身でも本当の自分の姿を忘れることだ。つまり、自分が知っている「普通」の自分は社会が築き上げた表の姿であり、本当の自分は他にいるのかもしれない。
本作『ジョーカー』は、そんな人間の表裏を描いた物語。
もともと、アーサーは心優しき男だった。人を笑わすコメディアンになることで脚光を浴びるのを夢見ている。貧しい生活の中、母の看病をしながら暮らしているごく「普通」の男だ。
そして、夢に破れたという意味でも「普通」である。
コメディアンとして生計を立てられるのは一握り。アーサーのように夢を叶えられなかった者はごまんといるだろう。
しかし、たった一つ「普通ではない」ことがあっただけで、アーサーの人生は崩れていく。
アーサーは脳と神経の損傷により起きた、突然に笑いだいてしまうという持病に頭を悩ましていた。本人に悪気はなくとも、アーサーの甲高い笑いは周りの人を不快にさせる。
そのため、アーサーは見知らぬ者からも身内からも不当な扱いを受けていた。次々と襲い掛かる暴力に、容赦なく浴びせられる心無い言葉の数々。アーサーの対応から見ても、このように邪険に扱われることは決して珍しいことではないのだろう。
当たり前のように起きる理不尽にアーサーの心は次第に壊され、怒りの矛先はいつしか「社会」そのものに向けられる。
冒頭、カウンセラーとの面談のシーンでアーサーは言った。
狂ってるのは僕か? それとも世間?
「ジョーカー」アーサー フレック セリフ 原文ママ
また、暗い部屋で一人ノートを書く時も、社会への不満を記している。
“世間の目だ こう訴えてくる 心の病などない… 普通の人のようにしてろと”
「ジョーカー」アーサー フレック メモ 原文ママ
アーサーは、いつだって社会の中にある自分の存在を説いてきた。
あるべき姿と、残酷な現実の狭間で苦しんでいた。
彼はいつだって甲高い声で笑っていたが、それはきっと、周囲へのメッセージだったのだろう。
アーサーから発せられる声も、仕草も、表情も、本当は愉快なはずなのに、彼の笑いはいつだって観る者を不安にさせる。
「眠る人の心を不安に陥れるような映画だ それはもちろん ジョーカーのキャラクターにも言えることだ」
映画「ジョーカー」トッド フィリップス監督 インタビュー 原文ママ
アーサーは、笑いながら泣いていたのだ。
笑いながらも、叫んでいた。
そして、笑いながら、誰かに助けを求めていた。
それでも、次から次へと遅いかかる理不尽な運命。
その都度、笑顔で隠していた壁紙が剥がされ、心優しきアーサーの裏に隠れたジョーカーが姿を現していく。
そして、唯一信じてきた母親にさえ裏切られた事実を知った時、必死に自分を偽り耐えてきたアーサーの精神は崩壊する。社会に定められた規範の中で、人が人として生きることをやめ、眠っていた狂気が解放される。
暴力に高揚し、残虐非情な「ジョーカー」が誕生する瞬間だった。
ジョーカーと化したアーサーは「マレー・フランクリン・ショー」で、暴力への正当性についてこう話している。
アーサー(ジョーカー):僕にはもう失うものはない 傷つける者もいない 僕の人生はまさに喜劇だ
「ジョーカー」アーサー フレック ・ マレー フランクリン 会話 原文ママ
マレー:人殺しが笑えることか?
アーサー(ジョーカー):そうさ 自分を偽るのは疲れた 喜劇なんて主観さ そうだろ?みんなだって… この社会だってそうだ 善悪を主観で決めてる 同じさ 自分で決めればいい 笑えるか 笑えないか
彼は、「主観」の考え方を主張している。
社会が主観で善悪を決めるなら、自分にだってその権利はある。自分の主観で、時分の好きなことを好きなようにやると。つまり、今まで社会の規範の中で抑えられ生きてきたアーサーが、判断の「主」を“社会”から“自分”に移したということだ。
本作でアーサー役を演じたホアキン・フェニックスも、インタビュー中にアーサーとジョーカーの違いに触れている。
「アーサーとジョーカーは同じコインの裏と表で対照的なキャラクターだ。アーサーは精神的に余裕がなく窮屈な状態にある。対してジョーカーは神のような存在で社会の規範や期待から解放されている。」
映画「ジョーカー」ホアキン フェニックス(アーサー フレック役) セリフ 原文ママ
トッド・フィリップス監督も、社会の規範の中で苦しむアーサーについて話している。
「主人公のアーサーは生まれてからずっと人生の意義は人々に笑いと喜びを与えることだと教えられ、それを信じてきた人間だ。そして彼は自分自身を、不当に扱われてきた心優しき男だと信じている」
映画「ジョーカー」トッド フィリップス監督セリフ 原文ママ
アーサーは狂っているようで、ある意味で実に「人間らしい」のかもしれない。
社会に必死に馴染み、認められたいとする承認欲求。
それでもうまくいかなく、心を支配する苦しみや憎しみ。
これはアーサーだけでなく、実社会に生きる私たちにも通じる感情だ。
人は誰しも耐えきれないほどの屈辱や理不尽を経験するが、大抵の人は、れを他者からの理解や救いによって乗り越える。
しかし、そこに救いの手が何もなかった時。
社会に希望はないということに気づいた時。
そして、耐え続けてきた抑圧から解放された時、人はどうなってしまうのか。
ジョーカーのように、暴力に身を任せることは絶対に正当化することはできない。
しかし、今私たちの眼の前にも苦しんでいる人々は沢山いて、目には見えなくとも心の叫びが転がっている。
そして、「ジョーカー」は人々の心に住み込む「狂気」ような存在で、誰にでも潜む裏面なのだと、勝手ながら思うのです。
「思いやり」の欠如

では、どうすればこの作品の結末を変えられたのか?
アーサーの中にいるジョーカーを抑えることができたのか?
トッド・フィリップス監督は、本作のテーマに『思いやりの欠如」をあげている。
「米国の問題、過激な価値観や暴力を描いているので、ある種の扇動に繋がると批判される可能性もありますが、それはあくまで表面的なもので、僕達は、その奥底に何があるのか、そこに人々を導くものは何かについて議論されることを望みます。
―(中一部省略)―
確かなのは、僕たちは「革命を起こせ」と言いたいのではないということ。けれども、人々が革命を始める理由を考えて欲しいとは思います。経済的不公平を人々が感じていることは否定できませんし、それは米国だけの問題ではないので。あとは映画が皆さんの心に届き、世界中で思いやりが欠如していることについても語ってもらえると嬉しいですね。」
映画「ジョーカー」パンフレット トッド フィリップス監督 メッセージ
本作で特に恐ろしいところは、何かの大きな出来事がアーサーを狂わすのではなく「共感なき社会」がじわじわと彼の心を蝕んでいくところにある。
持病を患いながらも真面目に仕事をし、貧しい暮らしの中でも懸命に母を支え、前を向き生きてきたアーサー。
しかし、彼の優しい心は「小さな憎悪」の繰り返しにより次第に壊されていく。
街では、見ず知らずの少年たちに突然リンチされ、被害者であるアーサーを加害者かのように冷たくあしらう冷たい職場。
また、救いの手を持つ政治家たちも、パフォーマンスとしては貧困層への対応をアピールするものの、現実は彼らのことを何も知ろうとしない。片や富裕層はチャップリンを見て娯楽を楽しむ一方で、貧困層は福祉のお金さえも削減される始末。この、両者の姿はあまりにも対象的だった。
カウンセラーとの面談で、「社会」を憎しむアーサーの内情がよくわかる会話がある。
アーサー:ラジオで聴いた曲だが…歌の主人公の名はカーニバル
「ジョーカー」アーサー フレック 会話 原文ママ
カウンセラー:アーサー
アーサー:びっくりした ピエロの時の僕の名だ ちょっと前まで誰も僕を見てなかった 僕は存在するのかなって
カウンセラー:残念なお知らせが
アーサー:僕の話は?聞いてないよね 何ひとつ 毎週同じ質問ばかり “仕事は落ち込んでない?” もちろん落ち込んでばかりさ でも何も聞いてくれない こう言った“僕はずっと自分が存在するか分からなかった” でも僕はいる 世間も気づき始めた
カウンセラー:市の予算削減でここは来週で閉鎖 全面的な予算カットで福祉も例外じゃない 面談は今日が最後よ
アーサー:そうか
カウンセラー:市にはどうでもいいの あなたたちも 私たちも
アーサー:クソだな 僕の薬はどうなる?誰に話せば?
カウンセラー:残念だわ
これが、社会に適応できなかったアーサーの本音だろう。
「自分のことを気にもとめない」社会への絶望、悲しみ、憎しみが滲み出ている。
しかし、カウンセラーは彼の話など一切耳にいれようともせず、まるで別の人と話しているかのように他の話で言葉を返す。
勿論、アーサー自身にも問題はある。周囲に社会の責任を一方的に押し付けるのも筋が違う。一人一人の協力があって、初めて社会は変わる。その点アーサーも、相手の立場をわかろうともせずに一方的に怒りを滲ませていたのも事実である。
しかし、トッド・フィリップス監督が「そこ(暴動や革命)に人々を導くものは何かについて議論されることを望みます。」と話すように、私たちは「どうすれば怒りや憎しみの連鎖を止められたのか?」ということを考えなければならない。
その問いに対する答えこそが、「思いやり」そして「共感」なのだ。
たった一人だけでも良い。
もし、誰か一人でも、アーサーの境遇に親身に身を寄せ、一緒になって考えてくれる人がいただけで、本作の終焉は大きく変わっていたのではないか。
少し話は横にそれるが、ある種これは、M・ナイト・シャマラン監督が手掛ける映画『シックス・センス』との逆描写でもある。
映画『シックス・センス』についてもっと詳しく知りたい!」という方はこちら!
👉 映画『シックス・センス』あらすじ・解説・レビュー
これは、「霊が見える」という特異的な力(シックス・センス)を持った少年が、人に理解をされないという悩みや苦しみと向き合いながら懸命に生きていく姿を描いた作品。本作では、「化け物」と呼ばれ苦しみ続けた主人公の少年が、理解をし合えなかった母親に真実を打ち明け分かり合うことで人生を取り戻す。つまり、何か特別なことができなくとも、「人は分かり合えるだけで救われる」ということだ。
『シックス・センス』では少年と母親が双方に寄り添うことでハッピーエンドを迎えるが、『ジョーカー』はその逆だった。社会だけでなく母親にも裏切られ、誰にも理解されない残酷な社会の中でアーサーの心は悪に堕ちる。
トッド・フィリップス監督は「彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。その花にあなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。どのくらいの間、その花を好きでいられるのか。」とも話している。
ここからは、監督が作品にかける想いや、私たち観る者へのメッセージが感じられる。
欲に溺れて他者を落とすという愚かな行為。人を傷つける心無い言葉の暴力。理由なき殺人。
私たちの生きる実社会でも、人間同士が傷つけあい、悲しみや憎しみの連鎖が止められずにいる。
そして、いつだってそこには、私たち一人一人が関わっている。
時に私たちは、自分が意識しない間にも何かを傷つけていることもある一方、関心を持つだけで救われることもあるのだ。
如何なる形であろうとも、人間は一人一人が懸命に生きている。
何か大きなことができなくても良い。
困っている人がそこにいたら、無視せずに関心を寄せること、思いやること、共感すること。
そんな「優しい」メッセージを、本作は最も「哀しい」形で伝えているように感じられます。
問われる「当事者」意識

多くの栄誉ある賞を総なめにしている映画『ジョーカー』だが、本作は違う意味でも話題の中心となっている。
というのも、同じくバットマンシリーズで、悪役としてジョーカーが登場する作品『ダークナイト ライジング(2012年)』の公開時に、劇場内(コロラド州)で銃の無差別乱射事件が発生。多数の負傷者を出しただけでなく、死者が12人に及ぶ大惨事が起きた。
警察はその事実を明かしていないものの、銃を乱射した犯人が自身のことをジョーカーだと言っているという噂もあり、この作品が犯人を感化し悲劇を生んだのではと言われている。
これを背景に、「貧困に苦しむ市民が憎しみを増幅させて殺人を起こす」という挑発的な内容の本作は、実社会に潜む憎しみや怒りを助長し、再び悲劇を招くのではと多くの議論が世を賑わした。
事実、先述した事件の遺族は本作の公開に反対し、作品の公開初日もニューヨークの映画館で『ジョーカー』を見ていた30%近くの観客が逃げ出す出来事(観客の1人が絶えず奇声を上げていたため)があるなど、様々な意味で本作は社会に物議を醸している。
多くの反対があるのは紛れもない事実だが、マイナスを言えばきりがない。
一方で、振り切った狂気や憎しみを描いた作品だからこそ、善悪を超えたレベルで社会に問題を提起できたことも事実だろう。
「暴力を誘発するのでは」という問いに対し、ホアキン・フェニックスは話している。
何が正しくて何がいけないのかという倫理観を教えるのは映画製作者の責任ではないと思う それは明らかなことだジョーカーほど情緒不安定になっている人間にとっては(映画に限らず)何でも起爆剤になり得ると思う その人にとって何が起爆剤になるかは誰にもわからないものだ こういう質問をすることで爆発する人もいるかもしれない だからといって「悪影響があるかもしれないからこの質問はやめておこう」というわけにはいかない 僕はそれを他人に求めない
映画「ジョーカー」ホアキン フェニックス(アーサー フレック役) セリフ 原文ママ
そういった問題があることも理解しているし懸念している だからこそ議論するんだ
また、同録の中で、トッド・フィリップス監督はこう話す。
「まだ映画を観てもいない人が批判記事を書いているケースも多いようだ 彼らには「まずは先入観を持たずに『ジョーカー』を観るべきだ」と伝えたい この映画は愛情の欠如や子供時代のトラウマ 思いやりの欠如をテーマにしている 人々はそのメッセージを正しく処理できると思う
映画「ジョーカー」ホアキン フェニックス(アーサー フレック役) セリフ 原文ママ
これらのインタビューを聞いて思うのは、私たちのように映画を観る者もただ「評価者」として終わるのではなく「共創者」としての姿勢を求められていること。
つまり、映画の価値は映画だけにより決まるのではなく、観る者が何を感じ、どんな行動を起こすかで決まるということだ。
そういった意味では、本作『ジョーカー』は観る側の器量が試される作品であろう。
いつだって、その価値を決めるのは結果なのだ。本作は、私たちが何も感じなければただの狂った鬼畜映画でもある。また、もしも『ダークナイト ライジング』の悲劇が再び起きるようであれば、『ジョーカー』の上映も間違えだったという話になるだろう。
しかし、アーサーの苦しみや憎しみに共感し、何かの行動を思い留まらせたり、困っている人に手を差し伸べる等、私たちの行動が何か良い方向に変えられたのならば、それは大いに価値あるものに変わるだろう。
そして、自分の前にアーサーのように社会に苦しむ人が現れた時、今を生きる私たちにできることは何なのか。
こういった「議論」を巻き起こすこと自体が、作品が存在する意味でもある。
「共感」と「同意」は違う。
多くの人が不思議とアーサーの痛みに共感しただろう。
往々にしておきる理不尽な境遇に、それを変えることのできない自分の無力さ。
行き場のない怒りや憎しみ。
許してはいけない「悪人」の物語はずが不思議と共感をしてしまうのは、誰しもが大なり小なり経験したことがあることで、一歩間違えれば自分もそうなってしまう存在だからだ。
しかし、ここで間違えてはいけないことは、どれだけアーサーに「共感」できても、犯した罪に「同意」してはいけないということ。
繰り返し言うが、ジョーカーが起こす暴力は絶対に正当化できない。それは、製作者側も一貫した姿勢を貫いている。つまり、自らの身にアーサーと同じような起きたとしても、同じ結末を迎えてはいけないということ。
私たちは不幸の下で憎しみに身をまかせたアーサーに対し、「しょうがないよね」でなく、「どうすればよかったか」を本気で話さなければいけない。
本作はある意味、コインの「裏」を見せることで、「表」の大切さを伝えようとしている。
「裏」は、社会の闇や、それに落ちる人間の哀しい末路。そして表は、「思いやり」や「共感」の大切さだ。
遠回しのようではなるが、本作は私たちに「本気になって考える機会」を与えてくれた。
共感なき社会が問題となっている今だからこそ、私たち観る者が「当事者」の意識を持つこと。それが思いやりある社会に変えていく、第一歩ではないでしょうか。
受賞歴
アカデミー賞(2020年)
主演男優賞・作曲賞
ゴールデングローブ賞(2020年)
主演男優賞・作曲賞
その他受賞歴
全米映画俳優組合賞・放送映画批評家協会賞・英国アカデミー賞・サテライト賞 等
賞が多すぎてどれがすごいのかわからない….」という方はこちら!
👉 映画賞ってどれがすごいの?
トッド・フィリップス監督の別作品
映画監督:トッド・フィリップス
・2019年:ジョーカー(監督/製作/脚本)
・2013年:ハング・オーバー!!!最後の反省会(監督/製作/脚本)
・2011年:ハング・オーバー!!!史上最悪の二日酔い、国境を越える(監督/製作/脚本)
・2011年:デュー・デート 出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断(監督/製作/脚本)
・2010年:ハング・オーバー!!!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い(監督/製作/脚本)
・2008年:全身ハードコア GGアリン(監督)
「そもそも映画作りに誰が一番重要なの?」という方はこちら! 👉 映画作りのキーマンは誰?
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