映画『フォレスト・ガンプ 一期一会』あらすじ・解説・レビュー

こんな方へ
・悩みがある人、何かに思い詰めている人
・現状に不満を感じている時
・困難に直面している人
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作品情本・あらすじ
- 作品名(原題):フォレスト・ガンプ 一期一会(FORREST GUMP)
- 制作年度:1994年
- 上映時間:142分
- 監督(制作国):ロバート・ゼメキス(アメリカ)
- 主な受賞歴:アカデミー賞(作品賞・監督賞・主演男優賞・脚色賞・視覚効果賞・編集賞)
「真っ直ぐに生きるフォレスト」の愛と幸福の物語
1981年、街中のベンチでバスを待つフォレスト・ガンプ(以下、フォレスト)は、隣に座る人々に自分の過去を話し始める。
時は1950年代まで遡る。
アメリカ、アラバマ州にある長閑(のどか)な町、グリーンボウに暮らす少年フォレスト。
彼は生まれつき知能指数が他の人より劣っていた。また、背骨が曲がっていることから、まともに歩くことすらできず足には大きな矯正器具を装着していた。
そんなフォレストに父親は既におらず、母親(ミセス・ガンプ)が一人で育てていた。彼女は、心身にハンデを背負うフォレストを養護学校に行かせることを周囲から進められる中でも、他の子どもたちと同じ効率学校で育てたいという信念を曲げなかった。そして、冷たくあしらおうとする効率学校の校長に身体を売ってまでして、フォレストの入学を認めてもらった。
入学初日、スクールバスに初めて乗るフォレスト。矯正器具を付けて歩くフォレストに周囲の子供たちは冷たかったが、ただ一人少女のジェニー・カラン(以下、ジェニー)だけは違った。座る席のないフォレストを隣に誘い、何の隔たりもなく優しく接してくれるのだった。そんな、心優しいジェニーにフォレストは一目ぼれ。この恋がフォレストにとって一生の恋となる。
小学校では、フォレストへのいじめが日常茶飯事だった。ある時、自転車で追いかけるいじめっ子から夢中になって逃げるフォレストは、ふとした時に矯正器具が足から外れ、自分の足だけでも走れるようになる。
以降、フォレストは自由になったその足で、どこに行くときも全力疾走。大好きなジェニーと遊ぶことが日課だったが、彼女にも一つ大きな悩みがあった。ジェニーの家庭環境も少し複雑で、母親は5歳の時に他界し、残されたジェニーは父親から性的虐待を受けていた。その事実が警察でも発覚し、ジェニーはフォレストの家の近隣に住む親戚の家に引き取られることになるが、彼女は心に大きな傷を負っていた。
フォレストとジェニーは高校になっても仲が良かった。
高校でも相変わらずいじめられていたフォレスト。ある日、いつものように追い掛け回す同級生から逃げていたフォレストは、無我夢中に走る間にフットボールの試合をしているコートに乱入する。それに気づかず必死に走り続けるフォレスト。なんと、彼はアメフトの選手よりも早くフィールドを駆け回り、その俊足ぶりに感銘した監督がフォレストをチームに勧誘。偶然に偶然が重なり、アラバマ大学へのスポーツ推薦枠を手にするのだった。
頭を使うプレーは苦手なフォレストだったが、起点が効いた仲間のフォローで彼の俊足はフットボールでも遺憾なく発揮された。チームの攻めの要となったフォレストは全米チームにも招集され、ケネディ大統領との面会まで果たすのだった。
これはフォレストの成功の序章に過ぎない。
損得勘定をせずに何事にも全力で取り組むフォレストは、周囲のサポートもあってあらゆる土俵で成功を果たすのだが…
本作の題名ともなっている『フォレスト・ガンプ』。
「フォレスト」は南北戦争の英雄“ネーサン・フォレスト”の名から抜いたもの。「ガンプ」はアラバマ州の方言で”うすのろ”、“間抜け”、“愚か者”を意味している。知能指数は他者より劣るが、何事にも全力で打ち込める素直な心を持つ主人公のフォレスト。彼が幸せをつかみ、運命に翻弄される周囲の人間までをも救っていく半生をコミカルに描く。
運命に苦しむ登場人物たちをフォレストが救う姿からは、人間がもつ「愛の力」や「誠実に生きる」ことの素晴らしさを感じさせてくれる。常時明るいテンポで進み心地よく見れるため、悩みがある方や何かに思い詰めている方にもお勧めです。
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解説・レビュー ※ネタバレ含む
「一期一会」今を全力で駆けるフォレストから学ぶこと

「一期一会」という言葉がある。
本作の題目にもなっているこの言葉は元々茶道に由来しており「どの茶会でもその機会は二度と繰り返されることがなく、生涯に一度しかない出会いであると心得て、主客ともに誠意をつくすべきである」という心構えを説いた言葉。
つまり「全ての機会は生涯に一回しかないと考え、それに専念する」という意味だ。
しかし、それを実現するのは難しい。
理不尽に降りかかる「不公平な運命」、そして誰しもがもつ「不安」「利益」「後悔」等の感情が人の行動を制限する。
ここでは、そんな“運命(さだめ)”や“人間の性”のようなものに触れながら、『一期一会』の本当の意味を下記のテーマで考察する。
- 今を生きれば道は開く
- 運命に翻弄される人間の性
- 幸せは駆け巡る
本作は少し極端な表現が故に「現実味がない」等の批判もある。
しかし、今を生きる私たちにとって、多くの学びがある作品である。
今を全力で生きていくフォレストの姿から、一つ一つ考えてみる。
今を生きれば道は開く
時に学びは、人の成長の妨げとなる。
学びとは、経験から得た成功の方程式、そして同じ失敗を繰り返さないための防衛反応のようなものでもある。
・偶然が導いた成功体験
・理不尽な抑圧によって生まれる劣等感
・恐怖を植え付けるトラウマの体験
そんな経験から人は学び、未来に結びつけるために、良くも悪くも全ての行動に「意味(利益)」を求める。
「この行動に何の意味があるのか」「この人と付き合うことのメリットは」と、己の「知」のみに頼ることで、直感が鈍り頭でっかちになる。
そして、そこに「意味」を見いだせなかった時、人は行動を抑制する。
確かに、時間は有限であり、無駄を省くという点ではわかる話だろう。
しかし、「運命を変えるような特別な吉」は、人が想像できない思わぬところにあるのかもしれない。
フォレストは、与えられた使命や出会いを心から大切にして、いつだって真正面から向き合ってきた。
損得勘定はもたずに、何事に対しても堅実だった。
そんな彼の真っ直ぐな行動は、思わぬところから「吉」を呼び込む。
走ることがもたらす吉

まず、フォレストが最初の吉を手に入れる元となったその「俊足」の原点は、いじめからの逃走だった。
生まれつき身体にハンデを背負い、歩くこともままならなかったフォレスト。
人とは違う彼は、同級生からのいじめの対象になっていた。
いつも必死に逃げるフォレスト。するとある時、不思議な事にふとしたことから矯正器具が足から外れ、それをきっかけに彼は不自由なく走れるようになる。それからといえば、どこに行くも全力疾走。その姿はまるで水を得た魚のように、彼は目的もなく走り続け、いつの間にか誰も追いつくことのできない俊足を手に入れる。
ここでのポイントは二つ。一つは、彼は必死になっていじめから逃げることがなければ、矯正器具が外れることすらなかったこと。二つ目は、どこに行くのも全力で走っていたことが、意識せずともトレーニングのような役割を果たてくれたこと。
いずれも、良い意味でも悪い意味でも必死に走った(逃げた)賜物だった。そして、その俊足が大学への推薦枠、全米フットボールチームへの招集、ケネディ大統領からの表彰など思わぬ恩恵をもたらしてくれる。
従順に務めた軍事がもたらす吉

次に、大学で勧誘された陸軍に入隊したフォレストは更なる奇跡を起こす。
彼は、自分自身でも「不思議な事に僕は釘のように軍隊にピッタリはまった」と言っている。
一般的な目線から見れば、軍隊は理不尽の塊だ。無駄に罵倒され、無駄に強要され、上司の命令にただただ従う。こんな意味のない行動は他にないだろう。如何に従順な駒となり、国の犠牲になれる覚悟があるかが試されている。
しかし、フォレストにとってそんなことは苦でも何でもなかった。同僚がうなだれる中、ただ純粋に上司の命令に従い、ただ堅実に軍の技術を学んだ。そしてそこでの学びは現場でも役に立ち、派遣先のベトナムでも敵の攻撃から多くの仲間の命を守ることに繋がり、彼は国から再び名誉の表彰を受けるのだった。
親友のために始めたエビ漁がもたらす吉

そしてフォレストは兵役が終わり、戦死した親友バッバ・ブルーとの約束を果たすために行ったエビ漁でも成功を収める。
もちろん、最初からうまくいくはずなどない。
必要な資材を全て揃えて挑んだエビ漁も、初めは全くと言っていいほど収穫がなかった。
そんな彼を好転させた要因は2つ。軍隊時代にお世話になっていたダン小隊長との再会。そして、嵐の中でも辛抱強く漁に出続けたその根性だ。これはあくまで間接的だが、嵐のために漁を控えていた他の船は、荒れ狂う波により全壊した。しかし、沖に出ていたジェニー船(フォレストの船)だけがそれを逃れ、結果的に競合が蔓延る海で一人エビ採りを独占できたのだった。
結果論であり、「運」がよかっただけだった。
しかし、彼らの行動が「運」を引き寄せたことも事実である。
他にも、「病院で知った卓球を極め中国への歴史的訪問を果たした」こと、「稼いた利益をAppleに投資し億万長者となったこと」等、フォレストは多くの吉を手にいれた。
めちゃくちゃの話のようだが、彼は自らの力によって「運」を引き寄せていた。
ここで言う「運」とは具体的に「機会」と「出会い」のこと。
そして「機会」と「出会い」を連れてきたのは、いつだって彼の「行動」だった。それも「全力」で行ったことがポイントだ。
フォレストの育ての母ミセス・ガンプは、いつもフォレストに言い聞かせていた。
“人生はチョコレートの箱みたい。食べるまで中身は分からない”
「フォレスト・ガンプ 一期一会」ミセス ガンプ セリフ 原文ママ
一概にチョコレートと言っても、そこには多くの種類がある。
見た目、大きさ、種類など、フタをあけるまでは分からない。
そして、それが甘いのか、苦いのか、甘酸っぱいのかは、口にしないとわからない。
見た目は無様でも、美味いかもしれない。
甘そうに見えても、苦いかもしれない。
おそらく、ミセス・ガンプは、身体にハンデを持っていたフォレストに「それを含めて、全てが神様からの贈り物なのよ」ということを伝えたかったのかもしれない。
誰しも、今まで甘い想いも苦い経験もしてきただろう。
そして、長い人生この先に何が待ち受けているかは蓋をあけるまでわからない。
今はその味がわからないかもしれない。
しかし、多くの可能性に溢れている人生。
怖がらないで、味わってほしい。一喜一憂しないで、楽しんでほしい。
本作からは、そんな想いが感じられます。
運命に翻弄される人間の性
本作で、改めて深く考えさせられるのが「運命」である。
そもそも「運命」とは? 世間一般では、下記のような説明が出る。
“人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。転じて単に、将来。”
辞書より引用
作中、そんな「運命」に翻弄される人物たちが登場する。
まず、波乱万丈の人生を過ごしたジェニー。

フォレストにとっては天使のような存在でもあり、想いを寄せ続けていたジェニー。そんな彼女にも悩みがあった。5歳の時に母親を亡くし、農業をしていた父親からは性的虐待を受けていた。
父親からの抑圧にさらされた時、彼女は「神様 ここから逃げられるよう鳥にして下さい…」と祈っていた。直後、この不幸な運命は警察により解決されるわけだが、ジェニーが負った心の傷は深かった。
大学進学後、別の道を歩むジェニーとフォレスト。フォレストが多くの成功をおさめる一方で、彼女の人生はめちゃくちゃだった。
セミヌードモデルをしていたことがバレて大学を退学、唯一引き取ってくれたストリップ劇場では全裸で歌唱し、フォレストに助けてもらったと思ったらヒッチハイクで放浪する。その後は怪しい組織で反戦活動を行ったり、挙句の果てには薬物にも手を出すなど、自分を粗末に扱っていた。
そして、そんなジェニーにもフォレストは告白を繰り返すが、一途に優しさを与え続けるフォレストに彼女は正面から向き合うことができなかった。
自分を大切にできない彼女の裏にあるものは、劣等感だろう。純粋無垢なフォレストとは対等にはいれないという思い込み。もう一つは、愛への恐怖。幼き頃の性的虐待の体験から、愛に臆病になり素直に向きあうことができなくなった。そして、最後はウイルス性の病気にかかり、彼女は若くして命を落とす。
幼き頃の彼女は、確かに不幸な「運命」の下にうまれた。
しかし、幼少時代の経験からジェニーが立ち直る機会は何度もあった。不幸な境遇が続いていたわけではなく、選択権は彼女にあった。自分が変われば、思い描いていたような幸せを手にできることはできたはずだ。
それでも、遥か昔に体験した不幸な「運命」に翻弄され続け、彼女を一生苦しませた。
次に、ダン小隊長の話だ。

彼は軍人の家系で、先祖はみんな戦場で殉死していた。ダン小隊長もまた、戦場での死が自分の使命であり、名誉だと思い込んでいた。
ある時、ベトナム戦線でダン小隊長が率いる隊は敵の不意打ちにより窮地に追い込まれる。多くの部下が重傷を負い、自らも自決をしようとしたダン小隊長をフォレストが無理やり助けてしまう。
そして、襲撃から逃れたフォレストが病院で出会ったのは、足を失ったダン小隊長だった。
ダン小隊長は怒りと悲しみの感情をにじませながらフォレストに言う。
ダン小隊長:人間には持って生まれた運命ってものがある 最初から決められてるんだ 部下と戦死すべきだったのにおれのこのザマを見ろ!両脚がないんだぞ よく見ろ!もう二度と歩けないんだぞ 貴様に分かるか?
「フォレスト・ガンプ 一期一会」フォレスト ガンプ ・ ダン テイラー セリフ 原文ママ
フォレスト:分かります
ダン小隊長:話が分かったのか?貴様のせいだ!おれは戦場で名誉の戦死を遂げるはずだった そういう運命を貴様がぶち壊したんだ!おれの話が分かるか?こんな事になるはずじゃなかった 俺の運命じゃない おれはダン・テイラー中尉だった
フォレスト;今だってダン中尉です
ダン小隊長:おれを見ろ どう生きればいい?どう生きれば…
例えそれが死ぬことであろうと、彼は自分の運命(だと思っていること)を果たせなかったことを許せなかった。
数年後、フォレストは変わり果てた姿のダン小隊長と再会する。生きがいを失った彼は、浮浪者のごとく町の隅で酒におぼれていた。
初めは憎しみを滲ませながらフォレストに突っかかるのだが、純粋なフォレストが放つ不思議な空気により二人は徐々に仲を戻す。そして、フォレストがバーでエビ漁業の話をした時、ダン小隊長は「ガンプ上等兵がエビ採り船の船長だとさ!お前が船長になる日が来たら、おれが一等航海士だ」と冗談半分に言うのだった。
時は流れて数年後、その言葉は現実となった。
船を手に入れ一通りの機材も揃えたものの、エビ漁がうまくいかず思い詰めていたフォレストの元にダン小隊長が現れたのだ(フォレストがエビ漁を始めたことは手紙によって知る)。
ダン小隊長の執念と運も相まってエビ漁が軌道に乗り始めた頃、彼は空を見ながらフォレストに話した。
ダン小隊長:フォレスト 命を救ってくれた礼を言うよ
「フォレスト・ガンプ 一期一会」ダン テイラー セリフ 原文ママ
自身の運命を壊したフォレスト、運命を果たせなかった無力な自分、こんな試練を与えた無慈悲な神様。ありとあらゆることを恨んでいたダン小隊長が、自分の「運命」に感謝した瞬間だった。
最後にフォレスト。彼のことは言うまでもない。
身体にハンデを背負っていた彼だったが、母親の教えもあり彼は自分の境遇を「悪い」とも思っていなかった。
そんなフォレストが、唯一悩み苦しむシーンがある。
生涯愛し続けた存在、ジェニーが亡くなった時だ。
亡くなったジェニーの墓石の前でフォレストは話す。
君のパパの家はブルドーザーで潰したよ。
「フォレスト・ガンプ 一期一会」フォレスト ガンプ セリフ 原文ママ
ママはよく言っていた。“死は生の一部なのよ”と。でも悲しい。小さなフォレストは元気だよ。また学校へ通いだす。毎日3度の食事は僕が作ってる。そして毎日髪をとかし歯を磨かせている。ピンポンも教えてる。とてもうまい。釣りもする。本も読む とても利口な子だ。
君にも見せたい。自慢できる。あの子からの手紙だよ。読むなと言われたからここに置いておく。
ジェニー。僕には分からない、正しいのはママなのか。ダン小隊長だったのか。僕らには皆 運命(さだめ)があるのか。それとも風に乗ってたださまよってるのか。多分、その両方だろう。両方が同時に起こってる。
君が恋しいよ。欲しいものがあったらいつでも呼んでくれ。
「運命」を「人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福」と定義するのならば、おそらく運命はある。
そして、運命はこの上なく不公平且つ、理不尽だ。
しかし、理不尽に襲いかかる運命を、価値あるものに変えることができるか否かは自分次第。
そして、それこそがこの映画の本質なのではと私は思う。
・ジェニーは、父親からの性的虐待という幼少時代の不憫な運命を死に際まで引きずった
・ダン小隊長は、「運命」に縛られ生きていたが、フォレストとの出会いをきっかけに不憫な運命を克服した
・フォレストは、強い母の教えてにより、不憫な「運命」すら幸せに変えた
誰しも、生まれながらに何かを背負って生きており、公平ではない。
しかし、変えられないことを嘆いても仕方がない。
例えそれがどんな境遇であろうとも、恨むのではなく受け入れること。
運命に翻弄されず、楽しむ方法を探すこと。
それこそが、幸せを見つける方法なのだと。
フォレスト・ガンプの生き方からは、そんなメッセージが伝わってきます。
幸せは駆け巡る

そして、「不幸」な境遇を良い方向に変えるきっかけは、いつだって何かや誰かとの出会いである。
「幸福」の象徴のような存在、フォレストは運命に翻弄される様々な者たちに救いを与える。
まずはジェニー。フォレストの告白を断り続けていた彼女。
子供の力もあったが、最後は彼女もフォレストを受け入れ、死に際になってようやく孤独から逃れることができた。
ジェニー:フォレスト ベトナムは怖かった?
「フォレスト・ガンプ 一期一会」フォレスト ガンプ・ジェニー カラン セリフ 原文ママ
フォレスト:ああ さぁ…分からないな 時々雨が降りやんで星が出てくるときれいだった 入り江に太陽が沈む時のようにね 水面がどこまでもキラキラ光る 山の湖もきれいだった 透き通ってて上と下に二つの空があるようだった それに砂漠の日の出 境が分からなかった どこまでが天国でどこからこの世なのか 美しかった
ジェニー:一緒に見たかったわ
フォレスト:君もいたよ
ジェニー:愛してるわ
愛に臆病になっていた彼女が心底から人を信じることができたのも、どんな時でも一途に想いを貫いてきたフォレストがあってこそだろう。
次に、ダン小隊長。そもそも、彼はフォレストがいなければ死んでいた。
ある意味、彼にとってはそれも名誉だったのかもしれない。しかし、家系の運命に終止符を打ち、その先にある本当の幸せをつかむことができたのはフォレストがいてこそだ。
結局、ダン小隊長はアジア系の伴侶を見つけ結婚した。ベトナム戦線で何もかもを失った彼にとってアジア人は目の敵だったはずだが、そんな彼がアジア系の伴侶を選んだのは運命を受け入れ前に進めた証拠だろう。
そしてミセス・ガンプ。
自分が手塩にかけて育てた息子が、大統領からの勲章を受けた。何よりも、フォレストが困っている人たちの人生の助けになったことは、彼女にとって何よりの誇りであろう。最後の大切な息子に看取られ、幸せな死を遂げた。
そうして、フォレストの周りにいる者たちは、みんな幸せになっていった。
しかし、ここでのポイントは、フォレストが一方的に幸せをもたらしていたわけではないということ。フォレストもまた、彼女たちに幸せを分けてもらっていた。
ジェニーはいじめをうけていたフォレストをいつも味方し、たった一人の希望のような存在だった。
ダン小隊長はエビ漁での指導を初め、フォレストの資産運用をしたりなど陰からフォレストを支え続けた。
ミセス・ガンプは申し上げた通りだ。彼女の心ある教えの一つ一つがフォレストを形成していた。
フォレストもまた、多く人に救われ生きてきたのだ。
ミセス・ガンプが亡くなる間際、フォレストに話していたことが印象的だ。
フォレスト:なぜ死ぬの ママ?
「フォレスト・ガンプ 一期一会」ミセス ガンプ・フォレスト ガンプ セリフ 原文ママ
ミセス:そういう時が来たのよ そういう時がね。 いいわね?死を怖がらないで 生の一部なんだから 誰も逃げられない運命(さだめ)なの 私がお前のママになったように私なりに努力したわ
フォレスト:最高のママさ
ミセス:自分の運命は自分で決めるの 神様の贈り物を生かして
フォレスト:僕の運命って?
ミセス:それは自分で見つけるのよ 人生はチョコレートの箱 食べるまで中身は分からない
自分の運命を知っている人など、誰もいない。
無慈悲に襲いかかる境遇に悩むこともあるだろう。
なぜ私だけと、思う時もあるかもしれない。
人生は良いこともあれば、悪いことも度々起きる。
乗り越えられないほどの苦難や障壁が待ち受ける。
そして、自分の存在価値が感じられず、誇りや自身を失うこともあるだろう。
そんな時こそ、この映画を思い出してほしい。
自分がもつ「幸」を見つけ、他者に分け与えること。
誰一人として完璧ではなく、人は助け合って生きていること。
その場ではわからなくとも、徳を積んで生きることがやがて思わぬ幸福をもたらしてくれる。自分に自信を持てなくても、人は必ず誰かの役に立っている。
人はみな繋がりを持っていて、幸せは駆け巡るのだ。
受賞歴
アカデミー賞(1995)
作品賞・監督賞・主演男優賞・脚色賞・視覚効果賞・編集賞
ゴールデングローブ賞(1995年)
映画部門作品賞・監督賞・主演男優賞
その他受賞歴
全米映画俳優組合賞・ピープルズ チョイス アワード・英国アカデミー賞・ナショナル ボード オブ レビュー賞・全米製作者組合賞・ダラス フォートワース映画批評家協会賞・シカゴ映画批評家協会賞・funniest actor in a motion picture 等
賞が多すぎてどれがすごいのかわからない….」という方はこちら!
👉 映画賞ってどれがすごいの?
ロバート・ゼメキス監督の別作品
映画監督:ロバート・ゼメキス
・2019年:マーウェン(監督/製作/脚本)
・2017年:マリアンヌ(監督/製作)
・2016年:ザ・ウォーク(監督/製作/脚本)
・2013年:フライト(監督/製作)
・2011年:リアル・スティール(製作総指揮)
・2009年:Disney’s クリスマス・キャロル(監督/製作/脚本)
・2007年:ベオウルフ 呪われし勇者(監督/製作)
・2004年:ポーラー・エクスプレス(監督/製作/脚本)
・2001年:キャスト・アウェイ(監督/製作)
・2000年:ホワット・ライズ・ビニーズ(監督/製作)
・1997年:コンタクト(監督/製作)
・1995年:フォレスト・ガンプ 一期一会(監督)
・1992年:永遠に美しく…(監督/製作)
・1990年:バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3(監督/原案)
・1989年:バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2(監督/原案)
・1988年:ロジャー・ラビット(監督)
・1987年:世にも不思議なアメージング・ストーリー(監督)
・1985年:バック・トゥ・ザ・フューチャー(監督/脚本)
・1984年:ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(監督)
・1982年:抱きしめたい(監督/脚本)
・1980年:ユーズド・カー(監督/脚本)
「そもそも映画作りに誰が一番重要なの?」という方はこちら! 👉 映画作りのキーマンは誰?
『フォレスト・ガンプ 一期一会』を見れる動画配信サービス
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