映画『ニュー・シネマ・パラダイス』あらすじ・解説・レビュー

こんな方へ

・新たな門出を迎える時
・大切な人と離れている時
・忙しい日々に忙殺されている人

〔 こんな方は控えてください… 〕
・古い映画が苦手な人 ※1989年の作品です
・淡々とした映画が苦手な人

本サイトでは気分や目的別にカテゴリー分けをして作品をご紹介してします。他の作品も是非ご覧下さい

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作品情報・あらすじ

  • 作品名(原題):ニュー・シネマ・パラダイス(NUOVO CINEMA PARADISO)
  • 制作年度:1989年
  • 上映時間:124分
  • 監督(制作国):ジュゼッペ・トルトナーレ(イタリア・フランス)
  • 主な受賞歴:アカデミー賞(国際長編映画賞)

映画を愛した少年の青春と郷愁の物語

とある晩、ローマに住んでいる中年男性の映画監督「サルヴァトーレ(主人公)」はアルフレードという老人の訃報を受ける。神妙な面持ちのサルヴァトーレは、ベットに寝そべり幼き頃の記憶を思い出していた…

物語はサルヴァトーレの回想シーンへと移る。

第二次世界大戦が終戦してからまも無い頃、少年だったサルヴァトーレは地中海にあるシチリア島(イタリア)の小さな村で母と妹と三人で暮らしていた。父親は戦争でロシアに行ったまま消息を経っていたが、通称「トト」と呼ばれていたサルヴァトーレ(以下、トト)は明るく楽しい毎日を送っていた。

そんなトトの生活の中心となっていたのが、村の広場にある小さなシネマ座(映画館)だった。

教会と兼用していたこのシネマ座では、新作の映画が入ってきた日に司祭が必ず内容を確認し、キリストの教えにそぐわないラブ(キス)シーンは事前にカットしていた。そのため、村人は何年間にもわたりラブシーンを見ていない。男女が良いところまで近づきながらも肝心のシーンを飛ばされた時は、お客さんからのブーイングや野次が飛びかっていた。

しかし、外のせかいからきた映画が作り出す美しい世界観に観衆は魅了され、シネマ座は毎度のごとく超満員。各々の想いを胸に人が集まるシネマ座は、家庭にテレビもなく娯楽の場もない村の人たちにとって映画館は唯一の憩いの場となっていた。

トトにとってはもう一つの楽しみがある。映写技師、アルフレードの存在だ。

映画の世界観にすっかり魅了されたトトは、アルフレードがいる映写室に忍び込むことが日課だった。
通常立ち入り禁止の映写室に勝手に入り込むトトをアルフレードが叱りつけるが、同時に映画を心から愛し目を光らせるトトのことを特別な存在として可愛がっていた。

将来アルフレードのような映写技師になることを夢見ていたトトは、アルフレードを観察し映写技術を少しづつ身につけ始める。

しかし、映画にばかり気をとられシネマ座に通いつめるトトの将来に不安を感じていた母は、息子に近づかないようにとアルフレードを責め立てる。

孤独で稼ぎも少ない上、環境も悪い中で働き続けることの厳しさを知っているアルフレードも、このままではトトの未来が明るいものにはならないとわかっていた。アルフレードは、幼いながらも映画技師を夢見るトトに違う道を見つけるように説得する。しかし、幼いトトは聞き耳を持たずにただただ夢中に映写技術を身につけていくのだった。

そんな中、二人の運命を変える事件が起きる。

ある晩、映画を見られなかった客のため、アルフレードは外広場の壁面に光を当てて映画を映し出す。盛り上がる観衆と美しい光景に見とれるトトとアルフレード。しかし、広場の映画に目がいっている間に、映写機で発火が起き、フィルムに火が燃え移ってしまう。

瞬く間に次々とフィルムに火は移り、必死に火を止めようとするアルフレードも燃え盛る火の中で意識を失ってしまう。トトの必死の救出により一命はとりとめたアルフレードだったが、その代償として失明をしてしまう。

映画館も全焼し、唯一の憩いの場が見るも無残な姿になり村人は悲しにみ明け暮れたが、たまたまサッカーくじで大金を手にした男の粋な計らいにより、映画館は「ニュー・シネマ・パラダイス(Nuovo Cinema Paradiso)」として生まれ変わる。

アルフレードの失明により映写技師がいなかったため、幼いながらも映写技術を身につけていたトトがニュー・シネマ・パラダイスの技師として選ばれ、夢見ていたシネマ座での仕事生活がスタートするのだが…

本作『ニュー・シネマ・パラダイス』は、古き良き時代の映画館を舞台に青春を駆け抜け、郷愁(※)にふける主人公トトの感情の動きを繊細に描く。人生の恩師アルフレードとの絆、心から愛したエレナとの恋愛模様を描くことで人間愛の儚さや美しさを表現している。(※郷愁:生まれ育った土地、また過去のものや失われたものを思い出して心が引かれる気持ち)

1980年代の古い作品ではあるものの、人間の繊細な感情を見事に体現した奥深い作品。いつの時代も変わらない、人間愛や故郷をテーマに明るくも深く描いており、誰しも大人なったら一度はご覧頂きたい名作です。

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解説・レビュー ※ネタバレ含む

「裏を知らねば表を知れない」

全ての物事に表と裏、光と影があるように人間の感情にだってそれはある。

好きだった遊びや趣味も、突き詰めすぎると嫌になる。
嫌で嫌でしょうがなかったことも、離れてみると恋しくなる。

体調を崩して始めて健康のありがたさに気づくように、人間は表ばかりを見ていても本当の表の姿を認識できない。だからこそ、光を本当に素晴らしい存在として認識するためには、影の存在も知らなければいけない。

本作「ニュー・シネマ・パラダイス」は小さな村の小さなシネマ座を舞台に一人の少年の青春や郷愁の模様を描いている。

映画に魅せられ、映写室が生活の中心となっているトトにとって、村唯一のシネマ座は希望の光だった。
幼いながらも映写技師を目指し技術を学ぼうとするトトの姿からは、彼が如何に映画を愛しているかが伺える。

トトにとってもう一つの光が、映写技師のアルフレードの存在だった。

天真爛漫で言いつけを守らないトトを叱りつけながらも、アルフレードはいつだってトトと等身大の目線で話してくれた。そこには、映写技師としてのアルフレードの以上に、一人の友人としての尊敬と友情の念が芽生えていた。

孤独で厳しい環境の映写室で仕事しているアルフレードにとっても、トトの存在は光のようなものだった。

アルフレードは「他に映写技師になれる人間がいなかった」ことを理由にこの仕事に就いていると話している。しかし、貧しい村人たちにも惜しみなく映画を見せようとする彼の姿からは、アルフレード自身も心から映画を愛していることがわかる。そして、自分が愛している映画にここまで目を輝かせて夢中になっているトトは、アルフレードにとっても可愛くて仕方がなかっただろう。

しかし、この当時でも世間一般から見れば映写技師の仕事は”有望”な仕事ではない。

映画にばかり夢中になり教養を一切に身に付けようとしないトトに頭を悩ましていた母は「いい歳して子供と遊ぶなんていい歳して子供と遊ぶなんて、あんたちょっと恥ずかしくないの?この子が話すのは、映画とあんたのことだけ」とアルフレードに感情的にけしかける。

そして、誰よりもトトの将来を不安視していたのはアルフレードだった。アルフレードがトトを気遣うセリフが作中に散りばめられている。

自ら映写技師をしているアルフレードだからこそ、映画で生計を立てていくことの過酷さを分かっていた。まだまだ幼いトトだったが、いつだってアルフレードはトトに正面から向き合い現実の厳しさを教えてくれた。

私はこの仕事を10歳で始めた。その頃はこんな機械はなかった。映画は無声だった。映写機はハンドルを回るものだった。一日中手で回した。かたいハンドルでね、疲れてくるとスピードが落ちる。あっという間に火がついた。(トト:ぼくにも教えてよ。もうハンドルじゃないから簡単だろ?)教えたくないんだ。 お前にはさせたくない。つらい仕事だ いつも独りぼっちだ。しかたなく同じ映画を100回も見る。グレタ・ガルボやタイロン・パワーに話しかける。つらい仕事だ。クリスマスにも働く。休みは聖金曜日だけだ。キリストが十字架にかけられなかったら聖金曜日も働くとこだ。(トト:なぜ他の仕事をしないの?)バカな男だからさ。この村で映写技師になれる者がいなかった。私がやるしかなかった。運もなかった。私のような男になりたいか。(トトが首を横に振る)いい子だ、トト。お前のために言うよ。ここは夏は死ぬほど暑いし、冬は寒くて凍えてしまう。煙とガスを吸うが稼ぎは少ない。

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』アルフレード セリフ 原文ママ

更に、アルフレードは青年になったトトを村からも出るように持ちかける。

人にはそれぞれ従うべき星がある。村を出ろ。ここは邪悪の地だ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。 何もかも不変だと感じる。だがここを出て2年もすると何もかも変わっている。頼りの糸が切れる。会いたい人もいなくなってしまう。一度村を出たら年月帰るな。年月を経て帰郷すれば友達や懐かしい土地に再会できる。今のお前には無理だお前は私より盲目だ。(誰のセリフ?クーパー?フォンダー?)誰の台詞でもない。私の言葉だ。人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。行け。ローマに戻れ。お前は若い。前途洋々だ。私は年寄りだ。もうお前とは話さない。お前の噂を聞きたい。

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』アルフレード セリフ 原文ママ

帰ってくるな。私たちを忘れろ。手紙も書くな。郷愁(ノスタルジー)に惑わされるな。すべて忘れろ。我慢できずに帰ってきても私の家には迎えてやらない。分かったか。(トト:ありがとう。世話をかけたね。)自分のすることを愛せ。子供の時、映写室を愛したように。

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』アルフレード セリフ 原文ママ

アルフレードは決してトトを嫌っているわけではない。

心から大切に思う存在だからこそ、トトの人生を本気で考えた選択をした。少なからず、長い人生を生きてきたアルフレードは小さな村の小さなシネマ座で一生を過ごすことの意味を知っている。そして、世界が広く大きな可能性がそこにあることも。

また、映画を愛してやまないトトが、それを生業とするが故に映画を嫌いになることを恐れたのもあるだろう。

時に現実は、何かに近づこうとすればするほど離れていくことがある。
逆に、離れることが、結果として近づくことに繋がることもある。

事実、トトは大好きなシネマ座を離れ映写技師を諦める選択をしたが、監督という別の形で映画で生計を立てることに成功した。仮に、トトが村におさまり続けたら、”ニュー・シネマ・パラダイス”の廃業と共にトトは職を失っていたであろう。

これは結果論かも知れない。アルフレードがトトの才能を見抜いていたことも確かだ。
しかし、選択肢を知らない中で「ある一つ」を選ぶよりも、多くの選択を持っている中で「ある一つ」を選んだ方がそこへの愛情も執着も強くなる。

現実で生きていくことの厳しさを知っているアルフレードの愛情が、トトを成功の人生へ導いたのだ。

「形溢れる人間愛の在り方」

もう一つの大きなテーマが”愛の形”だ。本作は、形の異なる2つの愛情を取り上げている。

一つ目は、トトとアルフレードの世代を超えた人間愛。接触せずともわかり会える人間同士の絆の強さが描かれている。

二つ目は、トトとエレナの男女の愛。どれだけ強い気持ちを持ち続けても届かぬ愛や、愛情を突き詰めることの儚さについて触れる。

本作『ニュー・シネマ・パラダイス』に多くの人が胸を打たれるのは、形溢れる人間愛をあらゆる角度から見事に表現しているからだろう。きっと、辛くも儚い愛だからこそ、その美しさに人は魅了されるのだ。

ここでは、本作から学べる2つの愛の姿について考察していく。

本気で愛する存在を想うこと

本作は終盤に近づくにつれ、言葉にできない感情が込み上げてくる。

多くの人がラストシーンに涙しただろう。
それまでの一つ一つのシーンや感情の全てが集約されるような終幕だった。

トトは、亡くなったアルフレードの形見だという箱を渡されローマに帰る。それはかつて、アルフレードがカットしていたキスシーンだけを集めてつなげたフィルムだった。

「お前を殴る前に協定を結ぼう。これは全部お前にやる。だが私が保管する。お前はここに来るな。分かったら帰れ」

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』アルフレード セリフ 原文ママ

当時、まだまだ幼かったトトとした約束を、アルフレードは守り続けていた。

長年ため続けてきた感情が溢れ出たのだろう。
いくつものフィルムが煩雑に繋ぎ合わされた映像を見て、トトは涙を抑えられなくなる。

トトとアルフレードは確かな絆で結ばれていた。2人も、間違えなくそれを認識していた。

だからこそ、アルフレードは可愛がっていたトトを近くにおくのではなく敢えて遠くへ突き放した。「もうお前とは話さない。お前の噂を聞きたい。」と厳しい選択をした。トトだってそうだ。アルフレードが本当の愛情を持って話してくれていることが分かっているからこそ、苦渋の選択を黙って受け止め自らの道へ進んでいった。30年ものあいだ故郷に戻らなかった。

通常、人間は愛する者への”物理的”な繋がりを欲してしまう。
密に連絡を交わしたり、相手の近況を知りたがったり、(男女の場合は)肉体関係を求めたり。

物理的な形で愛の証明を得ることで、繋がっている安心感を得る。

それだけに、アルフレードとととの決断は強い絆がないとできない。相手を信じていないと絶対にできない。
トトは、心優しい人間だ。授業で困っている友達がいればこっそりと助け、アルフレードが危機に晒されたら自分の命をかけてでも救おうとする。そんなトトが、30年間以上ものあいだ故郷を離れ、誰とも連絡をとらなかったのだ。

結果だけ見れば、トトは夢を叶えた。

しかし、そこに至るまでに見せなかった多くの感情があったはずだ。

アルフレードの言葉とはいえ、生まれ育った村を出るのは迷っただろう。
愛する家族やアルフレードに連絡も取らず、つらかっただろう。
うまくいかなかった時には故郷に戻り、優しい言葉をかけてほしかっただろう。

そして何よりも、立派に成長した自分をアルフレードに見て欲しかっただろう。
感謝の気持ちを伝えたかっただろう…

そして再び、アルフレードがトトに降り注いでいた愛情が30年以上の時を超えて形として現れた。
アルフレードという人間の強さや優しさ、奥深さを改めて確認し、心にしまい続けた感情が一挙にこみ上げた。

ここにある愛の形とは…
それが自分にとって苦渋の道でも、本当に相手のためになる選択をすること。
見えなくたってどこにいたって、相手の幸せを願い、信じ続けることなのだ。

突き詰めた愛情の先にあるもの

もう一つ取り上げたいのが、トトとセレナのラブストーリーだ。

一度は結ばれた二人の恋だが、最終的には成就はしなかった。
男女の愛とは何とも難しいものだ。どちらかが一方がどれだけ強く願っていても、またその願いが両方向だったとしても実らない愛がある。

作中、愛の本質に近づける興味深い「おとぎ語」が登場する。

青年になったトトがエレナに一目惚れをし、あらゆる方法でトトはエレナにアプローチするもなかなか相手をしてもらえずに打ちひしがれている時に、アルフレードがある物語を言い聞かせる。

おとぎ話を一つ…座ろうか
昔むかし王様がパーティーを開いた
国中の美しい貴婦人が集まった
護衛の兵士が王女が通るのを見た
王女が一番美しかった 兵士は恋に落ちた
だが、王女と兵士ではどうしようもない
ある日、ついに兵士は王女に話しかけた
王女なしでは生きていけぬと言った
王女は彼の深い思いに驚いた
そして言った
”100日の間 昼も夜も私のバルコニーの下で待ってくれたらあなたのものになります”
兵士はすぐにバルコニーの下に行った
2日…10日、20日たった
毎晩王女は窓から見たが兵士は動かない
雨の日も 風の日も 雪が降っても
鳥が糞をし 蜂が刺しても 兵士は動かなかった
そして90日が過ぎた
兵士はひからびて真っ白になった
眼から涙が滴り落ちた 涙をおさえる力もなかった 眠る気力さえなかった
王女はずっと見守っていた
99日目の夜 兵士は立ちあがった 椅子を持って行ってしまった
(トト:最後の日に?)
そうだ、最後の日にだ
なぜかは分からない、分かったら教えてくれ

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』アルフレード セリフ 原文ママ

兵士はなぜ99日まできて立ち去ったのか?

その答えは作中でも明かされないが、推察は諸説ある。

・あまりにも残酷な方法で愛を確かめる王女への不信感が募った。
・100日目にフタを開け、王女の本当の気持ちを触れることが怖くなった。
・一方的な方法で愛を得ようとする自分の傲慢さに耐えられなくなった。
・この場を立ち去ることで王女との愛を永遠の愛にできると思った。
・99日間考え続け、自分が王女に本当に相応しい人間ではないことに気づいた。等々….

私は、兵士が本当の「愛情の形」に気づいたからだと思っている。
バルコニーの下で王女を待つあいだ、兵士は考える時間が無限にあった。

なぜ自分はこんなにも苦しい思いをしているのか。
王女は自分のことを愛してくれるのか、王女の本当の幸せとは
自分が本当に願う未来はどんな姿か。

そして、ゴールが目前となった99日目に気づいたのだろう。

このまま100日間の約束が達成されてしまわれば、自分が望んでいる「本当の愛」は手にできないのでないかと。
約束事が達成されたことにより得られる愛が、望む愛情の姿なのかと…

答えは誰にもわからない。

しかし、兵士が99日も愛情を突き詰めたその先に、この決断をしたことだけは事実である。
考えて考えて考えぬいた結果、身を引くという選択を選んだのだ。

愛は形なく、人それぞれに捉え方も違うため定義ができない。

ただ、トトとアルフレード、トトとエレナ、この2つの愛情に共通して言えること。

それは『心から相手を想う気持ち』を持っていたことだろう。
誰しも、本気で夢中になれるものや愛する存在がいれば盲目になる。
しかし、独りよがりの感情の押し付けるのではなく、真に相手のことを想うこと。
そんな苦悩や喜び、葛藤や決断の過程が、何にも代え難い深い愛情を生み出すのだ。

愛は時に恐ろしく、無残である。届かぬ愛もたくさんある。だからこそ愛は儚く、美しいのだ。

受賞歴

アカデミー賞(1990)
国際長編映画賞

ゴールデングローブ賞(1990年)
外国語映画賞

その他受賞歴
英国アカデミー賞・ヨーロッパ映画賞・ロンドン映画批評家協会賞・セザール賞・ダヴィッド・ディ・ドナテッロ音楽賞・ロバート賞 等

賞が多すぎてどれがすごいのかわからない….」という方はこちら!
 👉 映画賞ってどれがすごいの?

ジュゼッペ・トルナトーレ監督の別作品

映画監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
・2016年:ある天文学者の恋文(監督/脚本)
・2013年:鑑定士と顔のない依頼人(監督/脚本)
・2010年:シチリア!シチリア!(監督)
・2007年:題名のない子守唄(監督/脚本)
・2001年:マレーナ(監督/脚本)
・1999年:海の上のピアニスト(監督/脚本)
・1990年:みんな元気(監督)
1989年:ニュー・シネマ・パラダイス(監督)

「そもそも映画作りに誰が一番重要なの?」という方はこちら! 👉 映画作りのキーマンは誰?

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