映画『キャスト・アウェイ』あらすじ・解説・レビュー

こんな方へ
・大きな困難に直面している人
・忙しい日々に忙殺されている人
・大きな失敗や取り返しのつかないことをした人
〔 こんな方は控えてください… 〕
・サバイバルアクションを期待している人
本サイトでは気分や目的別にカテゴリー分けをして作品をご紹介してします。他の作品も是非ご覧下さい

作品情報・あらすじ
- 作品名(原題):キャスト・アウェイ(CAST AWAY)
- 制作年度:2000年
- 上映時間:144分
- 監督(制作国):ロバート・ゼメキス(アメリカ)
- 主な受賞歴:ゴールデングローブ賞(映画部門 主演男優賞 (ドラマ部門))
無人島に漂流した男の生還への孤独な戦い
”時”は炎のように我々を滅ぼすか温めてくれる。我々は時間に縛られて生きている。”時”に背を向けたり”時”の観念を忘れることはこの商売では大罪だ!
キャスト・アウェイ チャックセリフ 原文ママ
今は午後1時56分。今日の荷物の仕分けをあと3時間4分で完了させるってことだ。猶予時間はそれだけ。
守らねば”時”という容赦ない主人は我々の職を奪う。
この物語は、1分1秒の時を争うチャックの仕事ぶりから始まる。
1995年、主人公のチャック・ノーランドは世界を駆ける宅配業者「Fed Ex」でシステムエンジニアとして働いていた。仕事に実直な彼は、配送の生産性を高めるため世界中を駆け回っていた。
まるで「時」に取り憑かれたように効率を追い求め、「仕事」に生涯を捧げるかのように自身の責務を果たしていた。
そんなチャックにも、恋人のケリー・フレアーズがいた。
ケリーはチャックの仕事にも理解を持っており、時間に追われる彼に文句を言うわけでもなく静かに支えてくれていた。チャックにとってもケリーと過ごす時間だけが唯一の癒しであり、大切な存在だった。
二人はクリスマスを一緒に過ごしていたが、会社から呼び出しがかかったチャックをケリーは空港まで送り出す。そして、別れ際にチャックはプロポーズの指輪らしき箱をケリーに渡し、南米行きの貨物飛行機に乗り込むのだった。
二人には幸せな未来が待っているはずだったのに…
極度の天候不良に見舞われた貨物飛行機はトラブルを起こし、そのまま太平洋に墜落する。
沈みゆく飛行機の中で幸いにも救命ボートに捕まり一命をとりとめたチャックだったが、無人島にたった一人漂流してしまう。
手元にあるのは壊れたポケベルとケリーからもらった懐中時計だけ。
砂浜にはFed Exの荷物がいくつか流れ着いていたが、これといって使えそうなものは見当たらない。
人がいないか辺りを探したり、SOSのサインも砂浜に残すも進展はなく、たった一人で無人島での暮らしがスタートするのだった….
本作『キャスト・アウェイ』は時間に追われ続けた男が何もない無人島で生きていく中、人生の本質について説いていく様を描く。「人間は何故生きようとするのか」「生きていく上で本当に大切なものは何か」人生における普遍的な教訓を教えてくれる。素晴らしい脚本とトム・ハンクスの驚異的な演技力が相まって、決して重たさを感じさせない軽快なテンポで進んでいくが誰しも共通して持つ人間の深い心理を繊細に表している。笑いながらも涙が出てくるような優しい作品です。
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解説・レビュー ※ネタバレ含む
生きていく為に本当に必要なこと
無人島に漂流する物語はよくある。
しかし本作は単なるサバイバル映画と決して一緒にしないでほしい。
これは、無人島を舞台に繰り広げられる「人生」をテーマとした物語。

無人島で必要なもの
漂流にはお決まりの質問がある。
「無人島で生き抜く為に必要なものは?」という問いだ。
・火を起こすためのライター?
・食物を確保するためのサバイバルナイフ?
・それとも暇つぶしのための携帯やテレビ?
多くの人は、生きていく上で必要な”手段”を考えるだろう。
しかし、本当の意味で「生きる」ということの本質をこの映画は教えてくれる。
無人島で生きていくということは想像を絶する苦しみがある。
チャックを待ち受けているのは無情な現実だった。仕事ができるチャックも、そんなものは無人島で何も意味をなさない。火をつけることもできないし、魚を取ることもできない。自給自足のしようがないのだ。
例えライターがあっても、油が切れたらそれはただのゴミと化す。
ナイフがあったところで、魚や動物はそんなに簡単に取れない。
携帯は論外だ。電波がなければ意味をなさない。
何か一つ便利なものがあったところで、肝心の本人にそれを生かすだけの手腕がなければ意味がない。
そんな中、多くの失敗を経て、多くの時間を使ってチャックは一つ一つを学んでいく。
手が血だらけになるまで何度何度も繰り返し、自然から火を起こす術を手にする。
足が血だらけになりながらも住居を見つける。
工夫に工夫を凝らして、スケート靴を多種多様な武器に変える。
トライ・アンド・エラーを繰り返し、自らの力で生き抜く為に必要な”手段”を創造してきた。
サバイバル経験のないチャックを何が彼をそこまで”万能”にしたのか?
それは、諦めない精神。生きようとする意思の強さだ。
つまり、生きる理由だ。
チャックにとってそれは、ケリーという愛すべき存在だった。

漂流する前、チャックはケリーにプロポーズをした。
ケリーとの明るい未来をずっと夢見ていたのだろう。
その夢を叶える為には、なんとしてでも生きなければならない。
なんとしてでももう一度ケリーに会わなければならない。
そんな想いがチャックをここまで強くしたのだろう。
さて、問題に戻ろう。
「無人島で生き抜く為に必要なもの」。それは「希望」だ。
チャックにとっては、それが「ケリーの写真が入った懐中時計」だったのだろう。飛行機が会場に墜落し死にかけた時も、無人島でイライラして全てを投げ出したくなった時も、大怪我をして意識が朦朧としている時も、いかなる時もチャックはケリーの写真が入っている懐中時計を身から離さなかった。
どんなに便利な器具があろうと、それは生きるための”手段”だ。
生きようとする”精神(原動力)”がない限り手段は何の意味もなさない。
逆説的だが、希望を失わず前に進み続ければ、人はいくらでも強くなれるのだ。
なぜリスクを冒して脱出するのか
本作でもう一つ謎が解けたことがある。
私は無人島を舞台にしたサバイバルの物語が好きだが、いつも理解ができないことがある。
それは、高いリスクを冒してまで”脱出”をしようとする理由だ。

どんな作品でも決まって脱出をしようとする人物が出てくる。(そして、大抵は脱出をするかしないかの議論が巻き起こる。)
私は今まで”脱出反対派”だった。どう考えても、果てしなく広がる海の中で人に見つけてもらうことは、島にとどまり救助を待つよりも確率が低いように思える。また、どこにあるかもわからない他の島に行きつくことはほぼないだろう。島が見えたとしても、無事にそこに行きつくかもわからない。
もっと言うと、海上で死ぬのは地獄だ。
水と食料をなくして飢え死ぬか、筏(いかだ)が壊れて溺れ死ぬかのどっちかだ。
どちらにしろ、想像つかないほどしんどい最期になるだろう。
高いところから飛び降りることも、首を釣ることもできない。
一度海の上に出た以上、死に方すら選ぶことができないのだ。
なのに、多くの人は脱出を試みようとする。それも、無人島での生活に慣れてきた頃にだ。
自給自足ができるようになり、少なからず数ヶ月、数年は無人島で生きていけるだろうと思った矢先に脱出という険しい決断をする。
ずっと不思議に思っていたのだが、本作を見てようやくその心境が理解できた。
無人島では、生きることはできても、生きている意味がないのだ。
チャックにとっては、ケリーの存在だけが生き抜くための希望だった。
それは、「ケリーにもう一度会いたい」という強い想いだ。
であれば、例え無人島で生きながらえたとしても、ケリーに会うことのできない人生には価値がないのだ。
人は一人では生きていけない。誰しも大切な存在がいて、人との繋がりが原動力になっている。
人は愚かだ。大切な存在を失って(もしくは失いかけて)初めてその価値に気づく。
”当たり前”に不便のない日常を過ごし、”当たり前”のように大切な存在と一緒にいれる日常がその感覚を鈍らせるが、人生は何が起こるかわからない。本作をきっかけに、「何のため」に自分が生きているのかを改めて考え直したい。
心に潜むもう一人の自分
もう一つ、注目すべきが「ウィルソン」の存在だ。

チャックは漂流直後、どうにかして火を起こそうと躍起になっていた。しかし、思うようにうまくいかず木の枝が手に刺さり怪我を負ったチャックは虚しさと辛さに我を忘れて(FedExの宅配として流れ着いていた)バレーボールを血だらけになった手で岩に投げつける。すると、たまたまボールについた血の手形が人の顔に形に見えたのか、そこに目と鼻と口の方をくり抜いて顔を作り「ウィルソン」と名付ける。
ウィルソンをそばに置いて火起こしに再びチャレンジすると、偶然にも初めて火起こしに成功する。
これがスイッチとなったのか、チャックはウィルソン(ただの顔の絵を描いたボール)に換気を気持ちを話し始める。何と、結局その後4年もの歳月の間、ウィルソンはチャックの「友人」としての存在となるのだ。
はっきり言って、ただのボールに話し続けるチャックの姿は滑稽だ。
まるで芸人のコントでも見てるかのように、第三者から見るとおかしくてたまらない。
それがチャックにとっては”本気”であると気づくシーンが2つある。
一つは、島からの脱出にチャレンジすることの不安と恐怖に耐えきれずにカッとなったチャックが衝動的にウォルソンを洞窟から投げ出したシーン。少しの間を置き我に帰ったチャックは、まるでとんでもないことをしでかしたかのように洞窟から飛び出て必死にウォルソンを探し始める。しばらく見つけられなかったものの、波打ち際に浮かぶウィルソンを見つけたチャックの表情は、まるで消えた妻を見つけた夫のように後悔と安堵の念に駆られている。
もう一つは、島から脱出をして航海をしている時だ。嵐に出会い力尽きようとしていたとき、ボロボロになった筏(いかだ)からウォルソンが落ちてしまう。ただでさえ死にかけていたチャックだが、筏から落ちたウォルソンに気づいたチャックは海に飛び込み必死になってウォルソンを追いかける。しかし、すでに時遅し。力を振り絞って泳いでもウォルソンに追いつくことのできなかったチャックは「許してくれ ウィルソン。許してくれ!ウィルソン!」と叫びながら号泣する。
はっきり言って、狂った光景だ。狂気の沙汰とした思いようがない。
チャックが追っているのは、顔の絵を描いたただのボールだ。
話すことも、返事をすることもできない。ただただ間抜けな顔でずっと見ているだけだ。
脱出が成功した後のチャックの姿を見ても、本当に頭が狂った訳ではなさそうだ。
何故チャックはそこまでしてウォルソンにこだわるのか。
それは、人にとっての一番の恐怖は「孤独」だからだ。
チャックにとってウォルソンは「そこにいるだけ」で良いのだ。
ただそこにいることが、ただ話を聞くことがチャックにとっては大いなる支えとなる。
「孤独」には二つの意味がある。他者との繋がりと、自分との繋がりだ。
他者との繋がりは、無人島に来た時点で破綻している。
自分との繋がりというのは、答えのない無人島生活の不安を払拭するための存在だ。誰しも自分の行動を肯定するのは難しい。自分の中で”後押しをしてくれる存在”が、自分を前に進めてくれる。
ある種それは、自分の心の中にいる「もう一人の自分」のような存在なのかもしれない。
無人島という究極の孤独環境の中、チャックはそれを「ウィルソン」という形で具現化した。
究極の苦楽を共にしたウォルソンは、チャックにとって自分のもっとも深い理解者であると同時に、自分の分身に近い存在でもある。
だからこそチャックは、何にも代え難い存在としてウォルソンを大切にした。
ウォルソンを失うことは、ここで過ごしてきた時間そのものを失うことに近い。
映画の世界に限らず、現実世界にいる私たちも心に秘めた「もう一人の自分」がいるのかもしれない。
儚いからこそ、価値ある人生。
ここまでして過酷な境遇な中で生き抜いたチャックに、更なる非情な現実が待ち受ける

心の中で自分を支え続けた存在の恋人ケリーとの別れだ。
チャックが不慮の事故にあった後も、ケリーはチャックが生きていると信じ続けていた。
しかし、長い歳月が経ち、周囲から「あきらめたほうがいい」と煽られていたケリーは既に他の男性と結婚し、子供にも恵まれ幸せな家庭を築いていたのだ。
それでもケリーのことを忘れられなかったチャックは、ケリーの自宅を夜遅くに訪ねてしまう。
ケリーもその時を待っていたのか、チャックが来たことに気づいたケリーが家のドアを開ける。
4年ぶりの会話に二人は距離を置きながら話し始めるが、徐々に気持ちが抑えられなくなる。
しかし、ケリーにはすでに大切な家族がいる。ケリーを気遣ったチャックはその場を後にするが、感情を抑えきれなくなったケリーがチャックを追いかけると、まるでその時を待っていたかのようにチャックもその場に戻ってくる。そして、何かの線が切れたかのように二人は抱き合い互いの愛を確かめ合う。
運命とは非情なものだ。ここまで互いを想っているにも関わらず、2人は一緒になれないのだ。
そのまま駆け落ちすることもできただろう。
しかし、チャックはケリーやケリーの家族のことを考え、別れるという選択をした。
相手のことを本気で愛し、本気で幸せを願うが故の別れだった。
絶望的な環境の中でチャックが生還できたのはケリーという「希望」の存在があったからだ。
しかし、心からケリーを愛するが故に離れるという選択をしなければならないならば、チャックはどうやって生きてゆけばよいのだろう。
チャックは言った。
彼女も僕も考えて 彼女はその末に 僕をあきらめた。
映画「キャスト・アウェイ」チャックセリフ 原文ママ
僕も島で思ったよ”彼女を失った”と。”島からは出られない 孤独のまま死ぬのだ”と。
いずれ病気かけがで死ぬ。
唯一残された道。自分の意志で選べる道は、いつどうやってどこで死を迎えるか。
ロープを編み 山頂で首を吊ろうと決心した。それでまずテストをした。僕はそうゆう性格だ。だが重さで木の枝がポキンと折れた。望み通りの自殺もできない。僕はまったくの無力だった。
代わりに”温かい毛布”が心を包んだ。
”生きよう。何が何でも 生き延びるのだ。何が何でも 呼吸をし続けるのだ。
何の望みがなくても 故郷に二度と戻れなくても” 僕はそうした。生き延びて 息をし続けた。
ある日 その考えがひっくり返った。潮が帆を運んできてた。
そして今ここに 僕は戻った。メンフィスで君と話してる。手には氷の入ったグラス。
彼女を再び失った。彼女を失ったことは悲しい。
だが島ではずっとそばにいてくれた。
これからどうするか?息をし続ける。明日も太陽が昇り 潮が何かを運んでくる
人生は漂流そのものだ。明日に何が起こるかは誰にもわからない。

明日、思いも寄らない荒波が襲いかかってくるかもしれない。
築いてきたものが壊されるかもしれない。
当たり前だった日常を失うかもしれない。
しかし、時は変わらず進み続ける。明日はまた何かが変わるかもしれない。
人生は儚く脆い。だからこそ、一つ一つの出会いや別れに価値があるのだ。
どんなに辛くとも、どんなに心が折れそうになっても諦めてはいけない。前を向き続けなければいけない。
本作「キャスト・アウェイ」は無人島を舞台に人生の美しさを感じさせてくれます。大きな困難に直面している人や、前向きになれない人にも是非見ていただきたい優しい作品です。
受賞歴
ゴールデングローブ賞(2001年)
映画部門 主演男優賞 (ドラマ部門)
その他受賞歴
ニューヨーク映画批評家協会賞・ティーン・チョイス・アワード・ピープルズ・チョイス・アワード・シカゴ映画批評家協会賞・オンライン映画批評家協会賞 等
賞が多すぎてどれがすごいのかわからない….」という方はこちら!
👉 映画賞ってどれがすごいの?
ロバート・ゼメキス監督の別作品
映画監督:ロバート・ゼメキス
・2019年:マーウェン(監督/製作/脚本)
・2017年:マリアンヌ(監督/製作)
・2016年:ザ・ウォーク(監督/製作/脚本)
・2013年:フライト(監督/製作)
・2011年:リアル・スティール(製作総指揮)
・2009年:Disney’s クリスマス・キャロル(監督/製作/脚本)
・2007年:ベオウルフ 呪われし勇者(監督/製作)
・2004年:ポーラー・エクスプレス(監督/製作/脚本)
・2001年:キャスト・アウェイ(監督/製作)
・2000年:ホワット・ライズ・ビニーズ(監督/製作)
・1997年:コンタクト(監督/製作)
・1995年:フォレスト・ガンプ 一期一会(監督)
・1992年:永遠に美しく…(監督/製作)
・1990年:バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3(監督/原案)
・1989年:バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2(監督/原案)
・1988年:ロジャー・ラビット(監督)
・1987年:世にも不思議なアメージング・ストーリー(監督)
・1985年:バック・トゥ・ザ・フューチャー(監督/脚本)
・1984年:ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(監督)
・1982年:抱きしめたい(監督/脚本)
・1980年:ユーズド・カー(監督/脚本)
「そもそも映画作りに誰が一番重要なの?」という方はこちら! 👉 映画作りのキーマンは誰?
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